ペナンで一人暮らし(mimirubyのブログ)

ペナンに住み、日々が経つにつれ、旅行気分は薄れ、異国での生活が日常になっていきます。 ペナンでの生活の時々に、昔の思い出が甦ります。 ペナンの今の生活と、昔の思い出を書いています。にほんブログ村のランキングに参加しています。ワンコのバナーを押していただけますとランキングが上がります、励みになります。よろしくお願いします。

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私の原点、44年前のパリ

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パリでは、70年代の学生時代の後、

80年代に1年、90年代に4年

暮らしています。

結婚、転職、いろいろな紆余曲折を

経て、今は、ペナンをベースに

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東南アジアを旅行しています。

44年前のパリ生活から、

ここまで辿り着いています。

今思うことは、若いうちに海外に

出てみて良かったということで、

これに後悔はありません。

大昔になります、大学生の頃です。

私は、パリ9区の屋根裏部屋を

月180フラン(当時の為替レートで

11,500円くらい)で借りていました。

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屋根裏部屋というのは、アパルトマンの

最上階にいくつもの女中部屋が

作られているもので、当然、

お風呂なし、トイレは最上階フロアに

共同で一つという作りでした。

お風呂はBains Douche Municipaux

という公共の浴場(個室で、日本の

銭湯形式ではありません)がパリ市内に

いくつもあり、そこを利用します。

屋根裏部屋のある最上階までの

エレベーターはありません、階段です。

ここの場合、6階くらいだったと思います。

ただ、この狭い部屋には小さなキッチンと

ベッドがあり、アパルトマン入口の

ブザーマイクと話せるインターホンも

付いていて、部屋も  清潔でしたので、

当時の私には充分でした。

住所は、今でも覚えています。

5, Avenue Trudaine 75009 Paris

これが現在の写真(建物は変わっていません)。

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この界隈、ピガール地区のバルべスは

物騒なところですが、100メートルおきに

警官が立っており、かえって安心でした。

これは、イラン人の友人マジッド君が

(「真実人」の漢字名をつけてあげました)

パリ5区の星なしの安ホテルに長期滞在

(1泊15フラン、1,000円くらい)

していた私のために、

アリアンスフランセーズの掲示板で

見つけてきてくれたものです。

 

その屋根裏部屋をベース基地のよう

私は周辺の各国を貧乏旅行で廻って

いました。

えっ、何か、

今もあまり変わっていない・・・

パリでは、大学のカフェや学食で

すごす毎日。

お金がなくても、同じような学生が

まわりにたくさんいて、友達には

事欠きませんでした。

ワークパーミッション(労働許可証)

はありませんでしたので、

アルバイトは、日本レストランの

皿洗い、ウエイター、旅行会社の

トランスファー(空港・ホテル間送迎

サービス案内)など限られていました。

ワーパミなしでは、当然、労働者側に

厳しく、日本レストランでは最初の

3か月無給で賄いの食事だけとか、

トランスファーの仕事を覚えるまで

無給(交通費だけ支給、その給与が

ついても1回30フラン1,950円)

とか、ブラックでした・・・

それでも、日本人学生はそういう

仕事に群がっていました。

私は幸運にも日仏文化協会を主宰

されていたマダムソロンという方

のご好意で、時々、日本企業の

通訳のお仕事を回してもらったり

して、それが1日300フラン

でしたから、助かっていました。

また、彼女の紹介でパリにいる間は、

T商会(大阪)の買い付けのお仕事を

手伝って、お金が作れました。

お仕事の内容1:

アンティーク人形の買付け

当時のオルセーは美術館ではなく、

オークション会場でした。

お仕事の内容2:

パリから日本への並行輸出

パリで学生のアルバイトを雇い、

ルイ・ヴィトンのバッグを買い集めて

(購入額の10%を手数料で学生たちに

支払い)日本に送ること。

問題は、お店側が、学生アルバイトに

なかなか売ってくれず、一日一人1個が、

せいぜいだったこと。

学生は(私も含めて)、

きつい日本レストランのもぐりの

アルバイト(皿洗いやウエイター)

よりも、効率が良かったので、

喜んでいました。

このあたり何か、日本の有名店の

セールでよく見かける中国人の

アルバイトと似ていませんか?

そうして買い集めたバッグを5個くらい

ずつ、EVIANの段ボール箱に詰めて、

郵便局から、指定の大阪のいろいろな

住所に、国際郵便で送っていました。

当時、買い付け額の3.8倍の価格を

つけても、大阪心斎橋では飛ぶように

売れました。

これらのアルバイトのおかげで、

私は、貧乏旅行でしたが、南欧

(イタリア、スペイン、ギリシア、

リエカなど)に旅行ができました。

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旅行の間、パリの日本人の友人に

このビジネスの権利を譲って、

屋根裏部屋はフランス人の学生に

又貸していました。

その後、東京の大学に戻り、卒業以来、

ずっとサラリーマンでした。

海外で15年、日本で23年働きました。

昨年の5月に日本脱出、ペナンに来ています。