ワンコは、今までに何度か飼いましたが、
今でも思い出すのは、パリ時代のRIKIと
フリーマントル時代のMIMIとRUBYです。
パリにいた頃(1991年~1995年)、
カバリエキングシャルル(雑種)の、
RIKI(とい名前のワンコです)を譲り受け、
4年ほど一緒に暮らしました。
RIKIは眼が大きく、愛くるしく、
連れて歩いていると、
全然見知らぬフランス人が
「可愛い!」と言って、
しゃがみこんでRIKIをなでなでする事が
頻繁にありました。
15kgくらいの重さで、クルマで外出する時は、
いつも助手席の私の足の上に寝ていました。
運転はいつも妻でした、私はヘタ。
アパルトマンから
クルマで公園に行くときは、
空気が違ってくるのか、窓から首を出して、
外気を吸って、公園に着くと、
大地を跳ね回っていました。
LE VESINETの一軒家に1年ほど住んだ時は、
RIKIには庭もあり、1日中、楽しそうでした。
クルマで8時間かかるペルゴール地方への旅行、
飛行機で一緒に旅行したビアリッツなど、
家族で旅行するときは(日本以外)、
ほとんど一緒でした。
ホテルはペット可のところを探して
泊まっていました。
やがて4年ほどたち、
日本に帰国になりました。
ベビーシッターを頼んでいた日本人女学生
(フランス語の勉強に来ていた)の方が、
私達が帰国するときに錠が移ったと言って、
RIKIを引き取ってくれました。
彼女は、パリでの勉強が終わって、
日本帰国の時に一緒に連れて帰りました。
私が後年、日本で会った時には、RIKIは
(私の事も覚えていません)もう足腰が弱く
なっており、フランス語の先生になっていた
彼女が、死ぬまで面倒を見る、と言われました。
残念ながら、写真は手許にありません。
オーストラリアにいた頃(1996年~2002年)は、
最初はペットショップでパピヨンのオス
(MIMI)を買い、
1年後、ブリーダーの方からメスの
パピヨン(RUBY)を買いました。
フリーマントルで暮らしていたところは、
会社のリゾート施設で敷地2,000坪の中の
10戸のコンドの内の一つでしたので、
庭は広大で、ワンコ達は敷地内放し飼いでした。
庭の門の下の隙間から、ときどき、路上に
出てしまう事があり、近所の方が
拾い上げてくれて、敷地内に戻してくれました。
寝る時は室内。
MIMIはちょっと猫のような性格で、
RUBYはワンコらしい人懐っこい性格で
対照的でした。
子供は半年毎に生まれました。
生まれた手の仔犬は、眼も開かない状態、
手のひらの半分くらいの
大きさでした、
成犬になっても1.6kgくらい・・・
可愛いです。
やがて5年ほどたち、妻と娘が北九州に帰る
ときにRUBYを連れて帰り、
残った私は、オーストラリアの最後の1年ほど
MIMIと他の子供たちと暮らしました。
その間、仔犬の2頭は、半年後くらいに
ペット用の貨物便で、北九州に送りました。
最後に残っていたMIMIとChachaは、
私の日本帰国の際、引き取りをご希望された
オーストラリア人の老夫婦にお譲りして
日本に帰国しました。